チャペル 2013/4月/27 [土] 16:23
チャペルには、400人ほどの若者と教職員の方が集いました。
(人生における「すべてのことについて感謝しなさい」とのみことばの実践は、思わぬ扉が開かれます。感謝します!
み声新聞の奉仕をしているといいことがあります。スタッフ募集していま~す)
宣教師館 2013/4月/27 [土] 16:22
大学の創立時に、英語教育に力を入れた本多庸一氏は、破格の給料で宣教師を呼び寄せたそうです。
当時呼び寄せられたジョン・イング宣教師は、青森県に「りんご」を初めて持ち込みました。
サンレモ会議は1920年4月24日から26日まで持たれましたが、この日に本多氏縁(ゆかり)の大学で説教というのも不思議な感動です。
写真=後方の建物が宣教師館
本多庸一さんの建てた大学で 2013/4月/27 [土] 16:21
説教に招かれたチャペルでは、ステンドグラスがあります。
バッハのドイツ語の賛美歌をハンドベルで演奏されていました。
この大学を建てたのは、青山学院大学の日本人初代学長を務めた本多庸一氏です。系列の学校では、イスラエルのために戦時中祈った中田重治牧師、イスラエル国境が策定されたサンレモ会議・バルフォア宣言に大きく影響を与えた珍田捨己氏(当時英国大使・牧師)らも学び、教鞭をとりました。
近代日本の政治にもかかわった本多庸一氏は、伝道旅行中の長崎の地で召天しました。