本多庸一さんの建てた大学で   2013/04/27



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説教に招かれたチャペルでは、ステンドグラスがあります。
バッハのドイツ語の賛美歌をハンドベルで演奏されていました。

この大学を建てたのは、青山学院大学の日本人初代学長を務めた本多庸一氏です。系列の学校では、イスラエルのために戦時中祈った中田重治牧師、イスラエル国境が策定されたサンレモ会議・バルフォア宣言に大きく影響を与えた珍田捨己氏(当時英国大使・牧師)らも学び、教鞭をとりました。

近代日本の政治にもかかわった本多庸一氏は、伝道旅行中の長崎の地で召天しました。