1597年2月5日、豊臣秀吉の時代に長崎の西阪で殉教した26人がいました。 その前にも、キリシタンだというので個人的に殺された方もいましたが、公に処刑されたのは、これが初めてでした。 バプチスタ司祭は、自分が建てた教会件病院を見ながら、処刑されていったのです。 それから、その教会件病院跡はお寺となりました。 幕末時代に、そのお寺の一角に勝海舟が住んでいたのです。 そして、明日、その西阪で、殉教聖会がもたれます。まどか