明日から神学校の授業開始です。
モニターにお知らせが映されています。 写真はエルサレムの平和のために祈る集いについて。
確かな希望である信仰は、お金同様使う時にその力が現れます。
単なる希望ではなく、しっかりと神の言葉に立って踏み出すなら、神の確かな栄光を見ます。
ジキルとハイドのように私たちには信仰と疑いが共存しています。 疑いにのるのが不信仰で、信仰に乗ることが必要です。
十字架と復活を信じないで、神に単に希望を置いていては、神のわざを見ません。 神の言葉を信じることが信仰です。信仰には芯があります。
18節では、クリスチャンの裁きについて書かれています。小さい者にも、大きな者にも、報いが与えられています。
携挙されなかった人々の映画が出ます。窪田さん紹介。
黙示録20章には、ノンクリスチャンの裁きについて書かれています。この箇所では行いが裁かれています。
十字架と復活は信仰の中心です。